和食器店を始めた理由

ブログの第1弾は、和食器店を始めた理由について書いてみたいと思います。

 

理由をひと言で表現しますと、和食器が大好きだからです。

 

なぜ、大好きになったのか?と、考えてみますと、幼い頃の体験や、姉の存在や、広告の仕事をしたことや、海外旅行や、名古屋で暮らしたこと、そして、子育てや夫の介護を経験したことなどが大きく関わっていると思います。

 

最初に、幼いころの体験ですが、生まれ育った茨城県結城市が焼き物の産地益子に近く、頻繁に益子に連れていかれ、皿や丼鉢を成型する作業や釉薬をかける場面をを見学する機会に恵まれたことです。

土が生き物のように動いて美しい形になっていく様子に心をときめかせ、飽きずに見続けていたことを今でもはっきりと覚えています。

 

そして、月日は流れ、姉が大学で陶芸を専攻し、釉薬の配合に苦心している姿を身近に見ていて、専門知識を少しだけ得られたように思います。

 

その数年後、私は広告制作会社に就職しスタイリストルームに配属されて、食器との関わりが深くなりました。

1980年代は、料理本の創刊やリビング用品専門店のオープンが相次ぎ、暮らすことや食べることに人々の興味や関心が(もしかすると今以上に)集まっていたように感じます。

スタイリストとしての仕事も、お料理の仕事が多く、様々なうつわを探して、東京中を駆け巡った記憶があります。

特に、百貨店の新聞広告を担当させていただいたことが、商品知識を深めたり、様々な商品に触れる機会を得たり、うつわの取り扱い方や販売員さんの心得などについても学んだりすることが出来ました。

会社員として3年2か月、フリーになって3年、スタイリストをし、うつわ好きの基礎が固まったように思います。

 

 

フランスに移住した姉を訪ねて、1か月半という短い期間でしたが、フランスとスペインを旅したことがあります。

その時に、リモージュを訪ねたり、蚤の市を覗いたり、ホームセンターでいろいろな部材が販売されていることに感激したり、くまなくいろいろなお店を訪ねて、ただただ感激しました。

もちろん、食品を扱うお店も例外ではなく、そのディスプレイの美しさや小粋さにひたすら感心しました。チーズやブリオッシュの専門店があることにも驚き、通い詰めました。

でも、学んだことは、姉が住んでいたアパートに備えられていた食器のアイテムが少なく、工夫していろいろな用途に使ったことで、今まで抱いていた○○でなければという観念はいらないということです。

使えるなら、自由に使っていいんだ!と。そして、日本や和食器愛が芽生えました。

 

(古いアルバムから写真を探して、どんな食器だったのか確認してみると、乳白色のガラスでできた7寸皿(直径21cm)と、直径18cmくらいの浅いボウルと、直径16~18cmくらいで高さ10cmくらいのカフェオレボウルの3アイテムでした。

カフェオレボウルは、日本人には冗談?と思うほど大きく、親指をうつわの中に入れて持たないと持てないようなものでしたが、サラダボウルやラーメンやうどん用の丼としても使え、重宝しました。)

 

その後、大好物のハムソーセージ製造販売会社の商品企画室に就職することができ、業務用のうつわと付き合うことになります。

銀座に1店舗レストランがあり、百貨店の中にイートインが数店舗ありましたが、そこで使用する食器を入れ替えることになり食器の選定と発注などを担当しました。

また、新店舗のショーケース内のレイアウトやお惣菜を入れるうつわの選定をも担当し、耐久性や扱いやすさ見栄えなど勉強させていただきました。

業務用の食器屋さんの営業さんがのんびりとした方で、(オープン日は決まっていますから)やきもきしながら納品を待って、検品したことを懐かしく思い出しました。

大量の食器たちを検品しながら、お客様に笑顔になっていただけるといいな!と思い、満ち足りた気持ちになりました。

 

結婚して夫が赴任していた名古屋で暮らすことになり、休日には瀬戸や多治見、常滑、足を伸ばして京都や金沢に焼き物を見に出掛けました。

(わが家の初代猫は、瀬戸のうつわ屋さんからいただいた仔です。)

このころに、和食器好きが固まったように思います。

 

名古屋で出産し、娘が1才になるころ東京に戻って生活することなりました。

東京では、子育てや家事を優先させて、時々コピーライターの仕事をしたり、パートで働いたりしていましたが、娘が大学3年生の夏に夫が心臓病で倒れ、介護生活が始まりました。

食事制限がいろいろありましたので、時間を掛けて毎日3食の食事を用意しましたが、夫からは感謝の言葉や料理の感想などもなく、手応えのない日々を過ごしました。

でも、食事に使った食器を洗っていますと水音は心地よく、そして何より新品同様にピカピカにきれいになる食器に、達成感を感じ報われたように思えました。

使っていたうつわは磁器が多く、白い色にも(暗くなりがちな)心を照らしてもらった気がします。

うつわって、ひとを幸せにするものなんだなぁと、この時初めて気付きました。

そして、決定的に和食器が好きになりました。

 

この様な経緯で、和食器はCOCON店主にとって、人生の大切なパートナーのような存在になりました。

 

スタイリストをしていて、1000枚以上のうつわに関わり、うつわやお料理が素敵に写るように心を砕き、業務用のうつわを扱うことで耐久性や使い勝手などを知ることが出来、実生活で安全性や使いやすさ、そして、ライフスタイルの変化でうつわ選びが変わることを知り、うつわの魅力をPRする仕事がしたいと思うようになりました。

 

そんな想いを抱えて、出来たばかりの『東京創業ステーション』で事業計画書の書き方を学んでいた折りに、『東京都チャレンジショップ創の実』の出店者を募集しているという情報を得て、応募致しました所、幸運にも出店できることになり、2017年12月26日に和食器店を開店することが出来ました。

 

スタイリストを始めたころに購入した思い出の箸置き。

銀座の黒田陶苑さんで、あまりの美しさに心が震えて購入しました。

京焼で、小さいのに結構な金額だったと記憶しています。

ちょっと無理をして買ったので、今でも大切にしています。

 

 

 

 

 

フランスに住む姉を訪ねて初めて海外旅行をし、食器の用途の概念が消えました。

 

左の写真はキッチンで備え付けの食器を使って、遊びに来てくれた姉の友人と一緒に食事をしています。

キッコーマンのお醤油の瓶が並んでいます。

(キッチンとバスルームは隣の部屋の住人との共有スペースなので、使用後は掃除をしてピカピカに磨き上げなければなりません。)

 

右は、姉のアパートのベッドルームです。

家具や枕カバー・ベッドカバーは備え付けで、リネン類は洗濯をしてくれます。

部屋にはセントラルヒーティングが導入されていて24時間暖かでしたし、階段やトイレには人感センサーライトが設置され、合理的でエコは暮らしに驚きました。